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創作あれこれのお話をぽちぽちおいていく予定です。カテゴリがタイトル別になっています。記事の並びは1話→最新話。
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「!!!」
 先ほどまで緩やかにその色を変えていた空が、一瞬にして暗闇に変わった……いや、今ビリィ達に影を落としているのは空の色ではなかった。
 こんなに大きな巨体がいつの間に現れたのか。ビリィ達の目の前には、天まで届くかのような体を持つ怪物が立っていた。まるで瞬きの間に世界が入れ替わってしまったかのように、ビリィの目に映る風景は一瞬にして変貌していた。
「……アビス……っ!」
 目前のその巨体は象のように固い四肢を持ち、しかし二本の足で悠然と大地に立っていた。全ての足に長く鋭い爪が光り、首と思われる場所のすぐ下には、その巨体には不似合いな小さい角が生えていた。そしてその上にある頭には赤く濁る瞳と牙の飛び出した大きな口、年老いた雄の山羊のように長く渦巻いた角があった。しかしその位置はとても高く、ビリィの目では霞んでハッキリと見ることはできない。
 ただ、霞んだ景色のその先で、巨大な赤い瞳がギョロリと光り、ビリィ達をひとなめにした。
 ビリィは一歩後ずさった。あの日の恐怖がビリィの胸を鷲掴みにする。それはドリィも同じようだった。両手で胸をかき抱くように震えている。
「ドリィ、逃げるんだ!」
 とっさに叫んだ。ドリィはハッと気づいたように駆け出す。
「ビリィ……!」
 ドリィは何か言いたげにビリィを振り返る。しかしビリィは退くつもりはなかった。
 アビスが咆哮を上げた。それだけで大地から土煙が舞い上がり、なおもビリィの視界を悪くする。もくもくと立ち上る煙の向こうに見えるその影は、ビリィがあの日見たものと変わることはなく。
「お前が……!」
 ビリィはギリ、と歯を軋ませ、鞘から抜いた剣をぎゅっと固く握りしめた。その剣を高く掲げ、ビリィは走り出す。
「うおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
 その走りは、確かに同年代の少年からしたら「俊足」と呼んで差支えないものだっただろう。土煙の向こう、アビスのむき出しの腹に向かい、一目散にかけていく。
 アビスは暫く辺りを見回していたが、やがて前足でボリボリと首の後ろを掻いた。そして、ビリィの存在など見えないかのようにその歩を一歩進めた。 ズシン!!! そのひと踏みだけで、立っていられない程の揺れがビリィを襲った。
「……っ!」
 ビリィはその揺れに大きく体を投げ出される。ズザザザッザッザ!バランスを崩したためうまく受身が取れず、荒れた地面に体が叩きつけられ、ぐるぐると回転する。
「ぐ、ぅ…っ」
 やっと回転の止まった体はズキズキと痛み、それだけで打ち身だらけであろうことは想像に難くなかった。足首がひどく傷んで、もしかすると強くひねったかもしれない。力を入れると耐え難い痛みがビリィを襲った。
 しかしやはりアビスはビリィの方を見向きもせず、ただまっすぐに歩みを進めた。いや、ビリィの存在にすら気づいていないのだろう。ゆっくりと前足が倒れるビリィの脇を抜けていく。その足が地面に着く度に、大きな揺れが大地を襲った。
「この……っ」
 剣に力を込め、杖にして立ち上がろうとした。揺れの中懸命に立ち上がろうとするビリィを嘲笑うかのように――いや、きっと何気なくなのだろう。アビスが尻尾を振った。
 
 ぐおん!!!!
 
 瞬間、体が吹き飛ばされた。それが、アビスが尻尾を振ったことによって起こった風圧だと気が付くのにはしばらくの時間がかかり、その時にはすでに地面に体を強く叩きつけられていた。
「かはっ!」
 襲う衝撃に声すら出ず、ビリィは肺の中の空気をすべて吐き出した。背中の衝撃はすぐに痛みに変わり、燃えるようにビリィの体を蝕んだ。
「……!」
 あまりの痛みに指先をピクリと動かすことさえできずビリィは呻いた。ジリジリと背中が灼けるように熱い。全身に広がっていくその熱の中、ビリィは自分の無力をひしひしと感じていた。
 
 今、自分はアビスに対して何ができた?
 
 アビスに人は敵わない。 ドリィの言葉が頭の片隅に蘇った。
 そんなことはわかっている。いや、わかっていたつもりだった。
 何を期待していたのだろう?アビスが人の及ぶ存在でないことを知りながら尚立ち向かうことで、よもや一矢報いることができるとでも思ったのだろうか。
「く、うぅ……っ!」
 気づけば涙が溢れていた。あんなに憎かったアビス。あいつを倒すためだけに今まで生きてきた。体を鍛え、剣を学び、昼も夜もなく自身の体に鞭を打ち。
 炎に歪む景色が瞼を覆う。あの日以上の絶望なんてあるわけがなかった。あの憎しみを払うために、今ここに立ったはずだったのに。こんな自分の決意さえ、あの怪物は知ることもないままに砕き去ってしまうのか。
「……そっくそっくそっくそぉ……っ!!!」
 それは痛みから来るものか、それとも悔しさから来るものか。ボロボロと頬を流れ落ちる涙だけが、ただ無力さを告げていた。
 その時。
『逃げろって言ったのに』
 呆れたような声がビリィの耳元でした。そうだ。ドリィもそう言っていた。それなのに。
 その時、ビリィはこの場所にドリィもいることを思い出した。そうだ、彼女は。ビリィの声にアビスからは背を向けて走り出していたはずだが、そんなことが何になると言うのだろう。アビスの歩幅を考えると、人間が多少走ったところでどうしようもない。ましてや、ドリィの小ささを考えるに、もうすでに彼女に追いついていたとしてもおかしくはなかった。
 ビリィは頭を振り、痛みの中ぐぐ、と上体を起こそうとした。しかしうまく中途半端に塞がれた呼吸器は痛みにあえいで、うまく息が出来ずにまた体は地面に崩れ落ちる。
「ドリィ……っ」
 掠れた声でビリィは叫んだ。視界が霞む。一歩歩くたびに砂埃を巻き上げて、アビスは影だけになっていく。何もできないのか。自分どころか、ドリィの命さえ危険に晒して。
「そんなこと、させて、たまるか……っ!」
 ビリィは再度自身の体に力を込める。
 
 ふと、耳元で声がした気がした。
 
「なんで、そこまでしてアビスを倒したいって思うの?」
 
 なぜ。考えたことがなかった。自分が生きてきた、あの愛しい世界を滅ぼした存在。それだけで憎むには十分な理由だった。
 
「もう一度目の当たりにしてわかったでしょう。アビスは怪物よ。アビスの前では人は等しく無力よ。それでも立ち上がるの?怖くはないの?」
 
 怖いさ。怖いに決まっている。何せひとつも触れられずにこのザマなんだ。けど。
 
「馬鹿ね。そこで倒れておけば、自分は助かることができるかもしれないのに。今日会ったばかりの女の子を助けるために立ち上がるの?」
 
「だって、」
 ビリィは痛みの中口を開いた。幼いころ、強く自分の中にあった思いが顔を覗かせる。
 
「僕は、勇者になりたかったんだ」
 
 今朝、宿の部屋で見た鏡を思い出した。あの日から自分の顔に影を落としていた記憶がビリィに囁きかけるようだった。
 
 幼いころ、父親にせがんで何度も読んでもらった冒険譚。そこに登場する勇者は、人々の危機に颯爽と現れ、世界を脅かす存在と果敢に戦い、そして勝利していた。決して諦めないその姿に何度も勇気をもらい、自分も大きくなったら、このように人を助けられる存在になりたいと密かに誓ったものだった。
 アビスが現れた時、ビリィはずっと信じていた。どんなにピンチになったとしても、そこで絶対に勇者は現れてくれる。そして、こんな怪物なんてあっという間にやっつけてくれるのだ。
 
 しかし、現実は残酷だった。
 
 アビスがビリィの住む村を滅ぼし、世界中に次々に現れ、世界中を壊滅状態にしても、アビスを倒せる存在は現れなかった。
 西に向かって旅をする途中立ち寄った村や街では、誰もがいつ自分の住む場所が襲われるかとびくびくしていて、明るい話題を聞くことなどほとんどなかった。世界が漫然と死に向かっていくようで、けれどそれを打開する何かを求めているようで。背中に背負った剣がズシリと重くなるのを感じていた。
 
「こんな世界を打破する力が欲しくて、そんな『何か』になりたくて……だから僕は、アビスを倒せる、そんな力が欲しかったんだ」
 
 いつの間にか頬に触れられていた手にそっと自分の手を添えて、ビリィは視線を上にあげた。そこには夕闇にその髪の色を黒く染めた少女の姿があった。クリクリと大きな琥珀色の瞳を瞬かせて。
「……無謀な夢ね」
 小さなため息と共に吐き出されたその言葉は、しかし少し弾んだように聞こえた。
「そんなに、力がほしい?」
「ほしい」
 それはあまりにも淡々とした言葉で、当たり前のようにドリィが聞くものだから、ビリィも反射的に答えていた。今ここで、ドリィがこんな質問をする意味にも考えがいたらぬままに。
「でも、力を持つということは使命を得ることよ。あなたはこの先、どんなに辛くなったとしても、アビスと戦い続けなきゃいけない。わかる?」
「そんなの、あの日、村を失った苦しみに比べたら大したことじゃない」
 アビスの足音を耳の奥で聞きながら、ビリィはなんだか気分が高揚する心地がした。ドリィの言葉がスルスルと心に落ちてゆく。
 
 おかしい。おかしい。彼女はまるで、
 
 アビスを倒す力があると、言っているみたいじゃないか? 
 
 
 ふいに先程、アビスの尻尾によって吹き飛ばされたことを思い出す。気が付いたら地面に叩きつけられていたためその時は気づかなかったが、確かにあの時、ビリィはアビスの尻尾の裏を見た。
 そこには、複雑な模様がびっしりと広がっていた。自然に生きる生き物の紋様としては少し規則的なような、そこまででもないような。しかし、ビリィはその紋様をどこかで見たことがあるような気がした。それもずっと前ではない。ごく最近のことだ。そう、確か、今朝ドリィが持っていた剣の柄に掘られていた――……。
「ビリィ」
 ドリィの言葉と同時に、アビスが唸り声を上げた。
「……全てのアビスを倒すまで、戦い続けると誓う?――戦ってくれる?私と、最後まで」
 ぎゅっと脇に抱えた鞄を握る。街に次々と灯りが点っていく様をドリィはじっと見ていた。
 こちらからは見えないが、すでに街の人々はアビスが現れたことに気づいているだろう。アビスの来訪に恐れ逃げまどう人々で溢れているに違いなかった。アビスは尚も歩を進めている。人々が多少街から離れたところで、その体ですぐに蹴散らしてしまうに違いなかった。ドリィは少し瞳を揺らす。
 それでも、ドリィは目の前の少年の言葉を待った。
 
 ただ、待ち望んだ。
 
「僕は」
 
 ビリィが唇を開く。その瞳に戸惑いの色はなかった。
 
 
 
 
「僕は――世界を、僕を、……君を救う、勇者になりたいんだ!」
 
 
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 ドリィの目が見開いて、肩に下げた鞄が輝いた。しかしよく見れば輝いているのは鞄ではなく、鞄の口から眩いほどの光が零れていた。
「……確かに聞き届けたわ、あなたの思い」
 ドリィが薄く笑った。細めた瞳の奥で、キラキラと光が揺れていた。今度はビリィの目が見開く番だった。
 ドリィは鞄を開け、朝に見た剣の柄を取り出した。先ほどから輝いているのはそれだったのだ。柄の紋様は、やはりアビスの尻尾にあった模様ととてもよく似ているように見えた。その柄をビリィに差し出して、ドリィは言った。

「あなたを、勇者にしてあげる」

 ズシン、ズシン。アビスの足音が耳にこだまする。
 ビリィは信じられないような顔をしてドリィを見る。ドリィは黙ったままその微笑みを深くした。ビリィの瞳が輝き、口をきゅっと結ぶ。決心したようにその手を伸ばした。柄を握る。世界が揺れる。
 
 眩い光の中で、ドリィが一筋涙を零した気がした。
 
「――あなたに、世界を委ねる力を」
 
 
 そう、ドリィが告げたとき、柄だけだったはずの剣に、刃ができていた。
 
「……っ、……!」
 
 ビリィは目を見開く。輝くその刃は白く閃いていた。しかしその剣は、ビリィが今まで持っていたもののようにピッタリと手に収まった。そして不思議なことに、その剣を持った瞬間あれほど自分を苦しめていた痛みも、感じていた揺れも消えてしまっていた。
「これは……」
「あなたの望んだ、世界を守る力よ、ビリィ」
 呆然と佇むビリィに、ドリィは笑いかけた。
「世界を、守る力……」
 ビリィは柄をぎゅっと握りしめる。先ほどまでの眩い光は消えていたが、しかしズシリと手に響く重さが確かに強さを与えてくれるようだった。
 
「ビリィ、アビスを追って!このままじゃ、すぐにでも街に到達してしまうわ」
「!!」
 
 ドリィの言葉にビリィは顔を上げた。振り向けば、アビスはすでに街のすぐ側まで到達していた。暗闇の中で輝く街の灯りさえ、その影が飲み込んでいる。あと数分もしないうちにその足は街の大半の建物を踏み潰してしまうだろう。
「くそ……っ!」
 ビリィは走る。先ほどまでの震えが嘘のように軽く足が動いた。周りの景色が飛ぶように早く過ぎていく。すでにだいぶ離されていたと思っていたアビスの影が瞬く間に大きくなり、そして、次の瞬間。
「!!」
 目の前が暗くなった。アビスの振り上げた尻尾の真下、そこにビリィはいた。黒く斑な紋様がビリィを威圧する。思わずビリィは剣の柄を握りしめた。
 先程の場所からアビスのいる場所まで、軽く3キロはあるはずだった。普通に考えて、常人がこんなに短時間で辿り着ける距離ではない。ビリィは今の自分の状況が掴めず一瞬ポカンと口を開けて目の前の紋様を見上げた。そして自分の置かれている状況を理解してなお信じられず、握りしめた剣にぎゅっと力を込める。
 しかしあれこれと考えている暇はなかった。振り上げられた尻尾は大きく振りかぶられ、まさに家々を襲わんとしている。
 ビリィはアビスに向かい、とっさに大きく切りかかった。
 
 ザンッッ!!!!
 
 信じられない音がした。剣は空を切ったように軽く振り上げられ、しかし目に入ったのは、大きく跳ね上がったアビスの尻尾だった。
 あまりにもきれいな断面は血を出すことすら忘れているようで、ぱっくりとした赤い断面の真ん中に丸く骨が収まっているのがはっきりと見えた。 その光景に、ビリィは時が止まったような心地さえした。
「グァアアアォオウウウウォオオオオオオ」
 しかしその一瞬の静寂はすぐに破られる。空気を切り裂くような声で、アビスが唸りを上げた。
 ズシーーン!!!と大きな音を立てて斬られた尻尾が地面に叩きつけられる。そうして初めて、ビリィはアビスとハッキリ目があったことがわかった。ギラギラと燃えるように赤い瞳は、憎しみを持ってビリィに向けられていた。
 ビリィはアビスの行動が示す事実を肌で感じて、高揚したように肩に力を入れた。ギラリと握った剣が輝く。
 
「ビリィ、角よ!」
 ハァハァと息を切らせながらビリィを追いかけてきたらしいドリィが、遥か後方から叫ぶ。
「アビスの心臓は首の下に生えている角の奥にあるの!角の下を貫いて!」
 息を上げながらドリィが叫ぶ。ビリィはアビスの体を見上げた。首の下にはその巨体に似合わない小さな角が生えていて、ビリィが持っている剣の刃に似た色をしていた。
 アビスがグルリと首を捻る。ドリィの声に反応するように、切れた尻尾の根をゆるゆると振った。そうして、ドリィの方へ体を向けようとする。
「!!」
 それは焦りであっただろうか。アビスの顔に俄かに表れた表情に、ビリィは何故か異様な親近感を覚えた。
 まるでアビスがドリィの言葉を理解し、その反応をしたかのようだった。
 ゆっくりと小さな角がアビスの背中によって視界から隠されようとして慌てて、ビリィは力強く地を蹴る。
「うおぉおおおおおおおおお!!!!!」
 3kmの距離を一瞬で駆け抜けた時と同じように、ビリィの体は高く空中に投げ出されていた。
 体を捻ると、目の前にアビスの角があった。それは仄かに白く煌めいていて、ビリィは一瞬目を奪われる。
 
「貫いて!!」
 
 ドリィがまた叫ぶ声が聞こえた。
 ビリィは空中でぐっと剣を握ると、高く掲げた剣をアビスの角目掛けて振り下ろした。
 
 
 そこから先はパノラマのようだった。
 一瞬一瞬を切り取るように、アビスの動きが止まり、ゆっくりと崩れ落ちていく。
 アビスの肉体に突き立てた剣を抜きながら、ビリィはドリィの方へ振り向いた。ドリィはまだ遥か後方にいたが、遠目に見える彼女の表情は、やはり少し泣きそうな顔をしているな、とビリィは思った。アビスの体が反り返り、頭が下がっていくのと同時に、ビリィの視界にも地面がゆっくりと近づいてくる。
 ヒラヒラとマントをはためかせて、ビリィは地に降りた。
 まるでその瞬間、世界に音が蘇ったかのようにアビスの巨体が地面に倒れて大きな音を立てた。ビリビリと地面が揺れる。
 ビリィはアビスを見、そして握りしめた剣を見た。先ほどまでの輝きはなく、味気ない白色をした刃先がビリィの顔を映した。それでも、その刀身はそこにたしかにあるようだった。
 ビリィはそれを恐る恐る撫でる。冷たかった。アビスの体にあんなに深々と突き立てたのに、刃には血の一滴も付いていない。アビスの体を振り返ってもそこに血だまりはなかった。本当にアビスを倒したのだろうか。近づこうとすると、背中から声がした。
「ビリィ!」
 ドリィがこちらに駆けてくる。ハァハァと息を切らせて、やがてゆっくりとした歩みに変わり、ビリィの前で立ち止まった。
「……やったのね」
「…………たぶん」
 ドリィは少しずつアビスに近づいた。
「ドリィ、まだ生きてるかもしれない」
 ビリィが慌てて制す。しかし、
「大丈夫。もう、死んでるわ」
 なんの根拠があるのか。ドリィはビリィに背を向けたままはっきりとそう言った。そしてさらに歩みを進める。
恐ろしい爪を持つ前足を抜け、アビスの顔の近くに立つ。首のすぐ下に生えた、先ほどビリィが貫いた角をそっと撫でた。
 
「!!」
 
 ドリィがアビスに触れるか触れないか、その瞬間。アビスの体は少しずつ砂に変わっていった。前足、背中、尻尾……全てがサラサラと風に流されて地面に同化していく。
 ドリィはその風景にも驚くことはなく、ただその砂の消えていく先を少しだけ目で追った。
 やがて、そこにはドリィが触れた角だけが残った。ドリィはそれをそっと持ち上げる。
「ドリィ、君は」
 ビリィは何かを問いかけようとする。しかし言葉にはならず、そもそも何を問いかけたいのか、それすらも心の中で霧散した。
 アビスの角はその巨体に不似合いな小ささだと思ったが、今ドリィが抱えると、今度は大きすぎてアンバランスに見えた。持ち上げきれずに角の下がずっている。
 よいしょ、とかけ声をしてドリィは角を抱え直した。
「それ、どうするんだい」
「……ここ」
 ドリィは足で地面を指した。
「掘ってくれない?立てたいの」
 
 
「ありがとう、このぐらいでいいわ」
「まさかアビスを倒すために東の果てから持ってきた剣を、地面を掘るために使うことになるなんてね」
 ビリィは苦笑する。その手にはここまで一緒に旅をしてきた剣が泥だらけになって握られていた。その刃には長いヒビが走っている。アビスに吹き飛ばされた際、とっさに地面に突き立てた時に入ってしまったようだった。
「しょうがないじゃない。こんな硬い土、さすがに手じゃ掘れないわ……んしょ」
 ビリィが掘った穴に、ドリィはアビスの角を入れる。右手で支えながら左手で土をかき集めようとするが、ドリィの小さな顔では当然角の質量を支えきれるはずもなかった。角がぐらついて、慌ててビリィも角を支えにドリィに駆け寄る。倒れてくる角を体で受け止めて、ビリィは黙々と掘り返した土を手で穴に戻していくドリィを見下ろした。ドリィの顔には何も表情が現れておらず、何を考えているか推し量ることはできなかった。
 ビリィは暫く思案したのち、ドリィに先ほどまで土を掘っていた剣を差し出した。
「これも一緒にいいかい」
 ドリィが顔を上げる。その琥珀色が一瞬だけ揺らめいた。ビリィもどんな顔をすればいいかわからずに、曖昧な笑みを返した。
「もう持って行けそうもないしね」
 確かに、剣に深く入ったヒビはそう簡単には直りそうになかった。ヒビの位置によっては大きく欠けてしまっている。それに、この剣がもともと収まっていた鞘には今や別の剣が刺さっていた。アビスを倒した剣だ。それは、まるで最初からこの鞘に収まるべきだったかのようにスルリと収まってしまった。
「それでも、ここまで一緒に旅をしてきてくれた剣だから……それに、証として一緒に立てておきたいんだ。ここから始める、決意として」
 ぐっと柄を握った。ズシリとした重みがビリィに何かを語りかけるようだった。一瞬だけビリィは目を細めてきゅっと口を結んだが、すぐにぱっと顔をドリィの方へ向ける。
「どうかな」
「……いいわよ」
 ドリィは何か言いたげだったが、足をどけて場所を作った。
「ありがとう」
 ビリィは角の脇に剣を立て、かき集めた砂で二つを固定した。
 
「これ、お墓のつもりなのよ」
 角と剣が並んで立っているのを見ながら、ドリィがポツリと呟いた。
「知ってる」
 ビリィは頷く。
「おかしい?アビスにお墓なんて」
「さぁ……」
「何それ」
 ドリィは笑った。いつの間にか空の色は完全に藍色に変わっていた。見上げると、満天の星空が広がっている。
 
 背中に背負った剣の鞘を撫でながら、ビリィは決心したように口を開いた。
「……ドリィ、君は言ったよね。『私と一緒に』戦ってくれるかって」
 ドリィはゆるゆると顔を上げた。月の光がドリィの瞳に反射してゆらりと揺れる。二人の前には、煌々と青白く輝くアビスの角があった。
 ドリィは何も言わなかった。ただビリィを見上げて、口をきゅっと結んで、何かを心の中で言いかけてはやめているようだった。胸の前で握られた手は少し震えているようで、ビリィはその細い肩をじっと見つめた。
「……ドリィ、僕は」
 ビリィがドリィに向かって身を乗り出した時、俄かに街の方が騒がしくなった。
 どうやらアビスが倒されたらしい、その信じられないニュースの真偽を確かめようと恐る恐る出てきた人々が、その知らせが真実であることを確かめたのだ。ワァッという歓声と共に、たちまち二人は囲まれてしまった。
「一体どうやったんだ!」「アビスを倒しちまうなんて!」「これで助かった…!」
 賞賛の言葉が次々にビリィ達に浴びせられる。宿屋の主人が、驚いたようにビリィ達を見つめているのが見えた。声をかけようとして、詰めかける人々の先頭がモゾモゾと動いているのを見つけた。隙間から飛び出た小さな手を思わず引っ張ると、小さな子供がプハッと顔を出す。
その手には、いつか幼いビリィが大事そうに握りしめていた絵本があった。少年は、絵本をぐっと差し出す。そして、顔を輝かせて叫んだ。
 
「すごい、すごい!本当に来てくれた!!ありがとう勇者様!!」
 
 そう、それは、世界を勇者が救う話。
 
 ビリィはドリィの方を振り返る。ドリィは微笑んでいた。その表情は先ほどとは違い慈愛で満ち溢れていて、そして、ゆっくりと頷いた。
「おめでとう。今こそ、あなたが勇者になったのよ」
 
 
 
 
 
 
 
 
************


 人々がビリィを解放したのは、やがて東の空がやっと白み始める頃だった。
 夜通し街の人達の歓声とご馳走と質問を浴びせかけられたビリィは、フラフラと宿に向かいかける道すがらドリィを探していた。人は彼ばかり誉め称えたが、しかし真に力を持っているのはビリィでなく背中の剣であり、そしてそれを与えたのはドリィだと、ビリィはちゃんと覚えていた。
 しかしドリィに礼を言う間もなくビリィは群衆に飲み込まれ、そして彼女を見失ってしまった。
 
 話さないといけないこともあったのに。
 
 ビリィは通る脇に見える路地という路地さえ覗いたが、ドリィを見つけることはできなかった。もしかすると、もうこの街を出てしまったのかもしれない。
 いや、そもそも。
『彼女は確かに存在していたのだろうか?』
 そんな考えがビリィの胸を霞めた。アビスは倒した。ビリィは称賛され、確かにこの剣はここにある。しかし、あまりにも「できすぎた」ストーリーのように思われてビリィは急に不安になった。
 
 
 亡国の姫の名を名乗る少女が、遥かなおとぎ話の住人に思われてビリィがきゅっと剣に触れたとき、
「なによ、フラフラじゃない!」
 背中から、もうすっかり聞きなれた声がした。
「そんなんでこれから大丈夫なの?勇者様!」
 振り返ると、腰に手を当てて意地悪そうな笑みを浮かべるドリィの姿があった。昇る朝日を背中から浴びて焦げ茶色の髪の毛がキラキラと輝いている。
 眩しくてビリィは思わず目を細めた。
「……どこに行ったのかと思ってた」
 暫く考えて、ビリィがやっとそれだけを言うとドリィはニヤリと目を細めて、
「女の子はね、お肌のために夜はちゃんと眠らなきゃいけないのよ」
 と笑った。
 
「お子様だから夜起きてられないだけじゃ……」
「何それ?そんなこと言う人の旅には、ついていってあげないわよ?」
 朝日が眩しくて眉をしかめながらビリィがおざなりに返した言葉に、ドリィは頬を膨らます。
 ビリィは「ハイハイ」と適当に相槌を打ちかけて、
「……はい?」
 眉をしかめたままドリィに向き直った。 ドリィはといえば、当たり前のことを言ったのだと言わんばかりに腰に手を当てて
「なぁに?まさか、私なしでアビスの居場所がわかるとでも思ってるの?」
 と笑った。
 ビリィは、ドリィに話そうと思っていたことがあまりにも簡単に解決して口をパクパクとさせた。睡眠不足が思考を鈍らせていたというのもあったと思う。暫くは何も言えなかった。
 ドリィは笑顔のまま、ビリィの言葉を待った。チチチ、鳥の声が朝日の中にこだまする。ビリィの目の焦点が合って、やっと、その口が開かれた。
「……ついて、来てくれるのかい」
 ドリィは、その答えが最初からわかっていたとでも言いたげに、顔をキラキラと綻ばせた。
「だって、戦ってくれるんでしょう?私と、最後まで」

 
 
************

  人々に惜しまれながら街を後にした。ビリィとしては、少しは眠っておきたいと思っていたのだが、ドリィがあんまり急かすのでそういうわけにもいかなくなった。緩む歩調が背中を叩く手で諌められる。
「これから、どこに向かうんだい」
 追い立てられながらビリィが聞くと、ドリィは黙って西の空を指差した。そこには、登ったばかりの太陽の光でキラキラと輝く虹があった。
「虹を追うのよ」
 ドリィは虹を見上げる。ビリィもまた西の空に輝く七色の光を見た。
「コルマガ王国の方向か」
 ビリィの言葉にドリィは頷いた。
「コルマガ王国が滅ぼされて、世界中にアビスが現れた時は……確かに、あの怪物はどこに現れるか誰も想像もできなかった。でも、この1年ほどで明らかに状況は変わってきているわ。恐らく……アビス達は、最初に現れた場所に帰ろうとしている」
 ドリィはそこで一旦言葉を切った。何かを噛みしめるようにぐっと喉を詰まらせる。
「ビリィは、東からこちらに向かってくる間アビスに遭遇することはなかったでしょう。アビスが現れる場所は、日に日に西の方へ推移しているわ。その傾向は、毎朝同じ時間にあの空に虹が現れるようになった時期からずっと続いているの」
 確かにあの虹はここ近年急に現れたものだった。この世界は水が枯渇し、雨が降ることすら滅多になかった。そのため、虹自体がとても珍しいものであったのだ。それにも関わらず、いつからかあの虹はコルマガ王国のあった方向に毎朝必ず決まった時間に姿を現すようになっていた。
「だから、あれを追うのかい」
「そうね、当面は」
 ドリィは髪をかきあげて、そして少しだけ茶化すように言った。
「旧世界では、虹は幸せの象徴だったそうよ。虹の麓には宝物が埋まってるとか、虹を越えた先には幸せな世界があるとか。だから、まぁ、私たちが虹を追うのも大概おかしな話でもないじゃない?」
 ビリィも笑った。
「いつかきっと、虹の向こうへって?」
 そして、やはり背中の剣を強く握った。ドリィはビリィの様子に満足そうに目を細めて、そして大きく一歩を踏み出した。
「そうよ、幸せを求めて!」
 ドリィが振り返り笑う。ビリィもその後に続いた。乾いた土に一際大きく足音が響いた。

 太陽がその光で、二人の背中を後押ししていた。ビリィの胸に何か新しい予感を差し挟んで。ビリィは剣に触れていた手を見つめ、握っては開き、そしてまたぐっと握りしめた。そして顔を上げ、今にも走り出しそうなドリィの背を追った。


 そう、2人の長い旅路は、今、始まったばかりだったのである。
 
***あらすじ***
 かつて"アシンメトリィ・コミット"という大災害が起こり、世界のほとんどが荒れ果てた大地で、生まれ育った村を怪物アビスに滅ぼされた少年・ビリィはその復讐のために旅をしていた。そんなある日、ビリィは同じくアビスに滅ぼされたはずのコルマガ王国の姫の名前を名乗る少女、ドリィ・マストに出会う。彼女もまた、アビスを倒すために旅をしているようだったが、そんな彼女がビリィに差し出したのは、柄だけで刃のついていない剣だった。
 勇者になることを夢見ていた少年と、亡国の姫を名乗る少女が、世界を脅かす怪物アビスをすべて倒すために旅をする物語。

***登場人物***
 
ビリィビリィ・ヴァー(♂) 16歳

10年前に自分の故郷をアビスに滅ぼされた少年。以来、アビスを倒すためだけに体を鍛え、アビスを探して旅をしている。
アビスのことがなければ性格はいたって温厚。西にあるシジレ地方の出身である。
幼い頃に読み聞かされた勇者の話を非常に気に入っており、自らも勇者のように人を守れる存在になりたいと思っている。家族はいない。



ドリィ・マスト(♀) ?歳
 
10年前アビスに滅ぼされたコルマガ王国の姫の名を名乗る少女。ただ、コルマガ王国は国民が全滅した上に、姫は生きていればビリィより年が上になるはずなので、おおよそ10歳にも満たないであろう見た目のドリィでは計算が合わない。
性格は見た目の割には大人びている。というかやや生意気。ビリィと同じくアビスに故郷を滅ぼされたらしい。
アビスの現れる場所がわかり、ビリィにアビスを倒すための剣を授けたがドリィ自身は自分のことをあまり語りたがらず謎が多い。




ルッカ(♀) 6歳(16歳)
 
ビリィの幼なじみ。「アビスの落とし子」と呼ばれる、体にアビスの一部が現れてしまった少女。そのため、10年前から心体ともに成長していない。
頭にアビスの角が生えており、その為に両親や共に住んでいた村人に閉じ込められていた。ただし、本人はその理由をあまりはっきりとはわかっていない。
ビリィ達と出逢い、一緒にコルマガ王国への旅に着いていくことになる。






アビス(?)

10年前より世界中に現れるようになった怪物。アビスが現れる場所は草一本、昆虫一匹生き残れないとまで言われている。体躯は10mを超え、人の大きさでは顔を伺うことすら困難である。
大きな角と赤い瞳、長いしっぽを携えている。また、胸に小さな白い角が生えている。
複数匹いるらしいが、夕闇に紛れて突如現れ、村や町を滅ぼしてはまた消えるため詳しい生態や正確な個体数はわかっていない。

 
***各話リンク***
1話「果てしなく広がる青空の下」
2話「それがたとえ根拠のない願いだったとしても」

 
 遥か昔、この世界は二つに分断された。
 “アシンメトリィ・コミット”と呼ばれた大きな事件によって、惑星の半分が不毛の大地へと変わった。
 残ったもう半分の土地も、かってあったと言われる潤沢な水源はほとんど枯れ果ててしまった。荒れ果てた大地に残された人々は、数少ない水資源を求めて点々と小さなコミュニティーを作って生活していた。
 そんな生活が幾世代か続き、かつて世界を襲った災厄が伝承でのみ語られるようになった頃、突如それは西の果て、人々が別れを告げたその大地をすぐ背にして現れた。
 この世界において初めての、そして今なお類を見ない大きさの、純然たる国家。
 
 コルマガ王国は、そんな国だった。
 
 
 
 
 
***

 それは、誰の声だったろうか。
 
 
 泣き声がする。遠い記憶の彼方、沈んだようにたゆたう思い出の中で。
 もう泣くなよ、そう呟いたが声にはならなかった。
 泣き声は止まない。酸素が足りなくなって何度もえづきながら、それでもなお上げ続けるその声に、なんだか胸をぎゅっと締め付けられるような気持ちになる。
 
 
 この声を聞いたことがある。
 
 そう思う。けれどどこで?
 
 この声の主を知っている。
 
 そう思う。けれど誰だ?
 
 
 それでも、その泣き声にどうしようもない切なさと愛しさを覚えて、やはり気づけば語りかけていた。
 
 
 もう泣くなよ。ずっとそばにいるから。
 
 
 
「――リィ、ビリィ」
 頭上から声がする。まだ夢の中に引っ張られるような気だるげな気持ちの中、ビリィはゆっくりと目を開いた。
「よかった。やっと目が覚めたのね」
 目の前には栗色の瞳でこちらを覗きこんでいる少女の姿があった。ビリィは思案し、やっとその名前を口にする。
「……ドリィ」
「そうよ。昨日会ったばかりの人の顔を、もう忘れちゃった?」
 ビリィの心の中を見透かしたかのように、ドリィが茶化して言った。しかしその瞳の中には、安堵の表情が混じっている。
「歩いてたらいきなり倒れるんだもん。びっくりしちゃったわ。目が覚めて本当に良かった。あんまり心配させないでよね。街の中じゃないんだから、体調には十分に気を付けてもらわないと」
 安心したのか、ドリィは大仰にため息をついて苦言を呈した。
 そうか、昨日寝ないまま街を出て来てしまったから、あまりの疲労に意識を失ってしまったんだ。
 ビリィは少し頭痛の残る頭で記憶を手繰る。そうして、思い至った結論に眉根をきゅっと寄せた。
「……一睡もしてない僕を急かして街から出発させたのはドリィの方じゃないか」
 そう、昨日はアビスを倒して、その礼にと街の人が宴を催してくれたのだ。今まで決して人間が敵う相手ではないはずだったアビスを倒す存在が現れた。その喜びは、人々を一晩中熱狂させるに十分だった。宴の主役が途中で席を外すわけにもいかず、そのままずるずると付き合ってしまったのだ。
 そして、朝に再会したドリィに急かされて街を出たビリィは、一睡もしないまま灼熱の砂漠に放り出されることになってしまった。
 ビリィがその不満を隠さないままにドリィを見やると、「そんなこと言われても」と言いたげに肩をすくめた。
 ふいに、額にひんやりとした心地よさを覚えてビリィは手をやった。濡れタオルだ。何度か触ってその正体を確かめたビリィは、タオルを手で抑えたまま体を起こした。
「僕、どれぐらい倒れていた?」
「さぁ。東にあった太陽が、西に傾くぐらいまでは」
 ドリィは首を傾げる。その脇には水が半分以上なくなっている水筒があった。ビリィは顔をしかめる。
「ドリィ、君ずっと介抱をしてくれていたのかい」
 確かに、ビリィには正午近くまでの記憶があった。朝、西の空で地平線いっぱいにその足を広げていた虹はいつの間にかその姿を消してしまっていた。ビリィは空を見上げる。太陽の傾きをみると、ざっと2、3時間ぐらいは眠ってしまっていたのだろうか。
「置いていくわけにもいかないでしょう」
 ドリィは笑う。ずっと傍についてくれていたのだろう。地面に着いた膝が赤かった。先程まで自分が倒れていたその頭の部分には、ドリィの鞄が敷かれている。ビリィは急に自分が情けなくなって、ガシガシと頭を掻いた。
「……ごめん、ありがとう」
 目を合わせるのも恥ずかしくて、そっぽを向いたまま呟いた。視界の端のドリィの顔は、優しく微笑んでいる。
「まぁ、私も無理をさせてしまったから」
 その声があまりにも大人びて聞こえて、ビリィはドキリとした。慌てて居直ると、やはり無邪気な少女の笑顔だった。なぜかほっと息を吐く。
「でも水が……。次の村までどれだけあるかわからないのに、もうそれだけしかないじゃないか」
 ビリィはドリィの脇にある水筒を指さした。ドリィはきょとんとその指の先に視線を合わせ、「ああ!」ポンと手を叩く。
「それがね、ビリィ。すごいのよ!《遺跡》があったの!しかも、ほとんど壊れていない姿で!」
 重要なことを言い忘れていたわ!ドリィはそう言いながらぐっと身を乗り出した。ビリィはその言葉の意味を考えて、瞬間、やはり驚いて目を丸くする。
「まさか!《旧時代》‐ティアモ‐の遺物かい?」
 ビリィの反応が理想通りだったのか、ドリィは目をキラキラとさせて頷いた。頬は紅潮し、鼻息も心なしか荒い。その様子に、ドリィがデタラメを言っているのではないことがわかって、ビリィにもその興奮が伝わるようだった。
 
 
 アシンメトリィ・コミット。
 
 それは、ビリィ達が生きるこの時代の始まりを語るにおいてなくてはならない言葉だった。
 世界の半分を人々の住めない不毛の大地たらしめ、もう半分にすら、今なお深く残る爪痕を残した大災害。その大災害より以前の歴史を、人々は《旧時代》‐ティアモ‐と呼んだ。
 ティアモでは、人々は豊かな資源に支えられて、世界中のあらゆる場所で水は絶えず沸き、植物は生い茂り、その中で成長した科学力の元、今では想像もできないほど潤沢な生活をしていたらしい。
 それはまるで楽園のようであったと、その時代を知る人が完全にいなくなってしまった今でもなお語り継がれている。
 そしてそれが、資源のないこの時代に生きる人たちが生んだおとぎ話ではないことをビリィ達はハッキリと知っている。それを証明するのが、地上のあらゆる場所に遺されていた《遺跡》の存在だった。遺跡は、人々が住む町や村の中や、地表が裂け、足を踏み入れるのも難しい奥地など、この地上のあらゆる場所に存在していた。しかし、そのほとんどが「アシンメトリィ・コミット」の影響や風雨にさらされた劣化により、その原型を留めてはいない。
 
「こっちよ、ビリィ」
 ドリィに手を引かれるがままビリィも駆け出す。左に聳え立つ崖の、緩やかなカーブに沿って行くと、やがてその壁の向こうに“それ”は姿を現した。
「すごい……」
 明らかに自然の力だけでは創造しえない、一寸の歪みもない球体。つるんとした外壁のてっぺんについていたのだろう柱が途中でボキリと折れ、こちらに傾いて崖の途中の岩にひっかかっている。球体の高さは軽くビリィの三倍はあり、その壁面には窓ひとつ付いていなかった。
 それでも、継ぎ目のないその壁面の輝きは、ビリィ達にそれを作る文明力の高さを想像させるに十分だった。
 悠久の時を超えてなお、朽ちることなく佇む《遺跡》。
「すごい……」
 もう一度ビリィが呟いた。ドリィも頷いている。しかしはた、と気づくと、繋いでいたビリィの手をぐいぐいと引いた。
「それでね、ビリィ。あの柱。中が空洞になっていたの。そこから、中に入れたのよ」
 ドリィが指さす。崖の途中に引っかかっている柱の先。あんなところまで行ったのか。ビリィは驚いたが、なるほど、岩が階段状につみあがっていて、そこまで登るのはそれほど苦ではないように見えた。
「中は、ティアモの遺産でいっぱいだったわ。この先に何があるかわからないし、少し早いけど今日はここを宿にしましょう?」
 
 
 遺跡の中は、外で受けた印象よりもさらにビリィを驚かせた。
 中は少し傾いていたが、通ってきた柱の辺りには何枚ものパネルが敷かれていて、近づいてみると非常に細かい透明のガラスがいくつもついていた。「用途はわからないけど、そこに何か映像を映すことができたみたい」とドリィは言った。壁や床も、ビリィにはなんの素材でできているか想像もつかなかったが、何百年もそこにありながら、未だに白く清廉な輝きを放っていた。
「谷の中にあったから、あまり自然の影響を受けなかったのかしら」
 ドリィが興味深そうに呟いて、床に散らばったものをひとつひとつ拾い集める。それも、特に模様もない白い四角い箱や球体ばかりで、ビリィにはどう使うのか全くわからない。ドリィは手に取ったものを丁寧に確かめては、また床に戻したり鞄に入れたりしている。
「それが何かわかるのかい?」
 ビリィの言葉に、ドリィは曖昧に笑った。
「はっきりとは……ただひとつ言えるのは、ほとんどが今はもう使えないガラクタになってるってことね。ここにあるものは、大半は何か動力を使って動かすものみたい。一体、ティアモにはどれだけの資源があって、それをエネルギーとして活用することができたのか……今では羨ましいばかりだわ」
 ドリィは肩をすくめてため息をついた。ビリィもまた何も言えなくなって、ドリィの手の中にある四角くて白い箱を見た。ドリィはこれをどう使うか、「はっきりとは」わからないと言った。しかし、こうやって鞄の中に入れるものと再度床に戻すものと選り分けているということは、今までにもそれを使ったことがあるのだろう。
「ドリィの鞄は、ずいぶん小さいと思っていたけど……まさか、中はほとんどティアモの遺産なのかい?」
「……ええ。おかげで旅が随分楽になったわ。ティアモの遺産は、闇市でもよく取引されているから。さっきは……ほとんどのものが動力を必要としていると言ったけど、中には太陽の光を貯めて夜に灯りになるものや、汚れた水を入れるだけできれいな水に変えてくれるもの、今この世界にある資源だけで利用できるものもたくさんあるの。ティアモが滅んでから何百年も経っているのに、未だに安全に食べることができる食物とかね。……まるで、ティアモの人々は、いつか自分たちの文明が滅ぶとわかっていたみたい……」
「……」
 ビリィは再度ドリィの手の中にある箱を見る。それは、なんの変哲もない白い箱に見えた。ビリィがこれを見つけたとしても、何の疑問もなくまたその場に捨て置いてしまうだろう。
 ティアモの遺産の使い方を知り、なおかつ、それを闇市で手に入れる交渉術。自分の半分ほどしか生きていないようにしか見えない彼女が、一体どれだけの場面を潜り抜けてきたのか。その人生を慮って、ビリィは一種の空恐ろしさを覚えた。
 目の前の少女は、もしかして自分が思っているよりずっとすごい存在なのではないのだろうか、と。
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