創作あれこれのお話をぽちぽちおいていく予定です。カテゴリがタイトル別になっています。記事の並びは1話→最新話。
「!!!」
先ほどまで緩やかにその色を変えていた空が、一瞬にして暗闇に変わった……いや、今ビリィ達に影を落としているのは空の色ではなかった。
こんなに大きな巨体がいつの間に現れたのか。ビリィ達の目の前には、天まで届くかのような体を持つ怪物が立っていた。まるで瞬きの間に世界が入れ替わってしまったかのように、ビリィの目に映る風景は一瞬にして変貌していた。
「……アビス……っ!」
目前のその巨体は象のように固い四肢を持ち、しかし二本の足で悠然と大地に立っていた。全ての足に長く鋭い爪が光り、首と思われる場所のすぐ下には、その巨体には不似合いな小さい角が生えていた。そしてその上にある頭には赤く濁る瞳と牙の飛び出した大きな口、年老いた雄の山羊のように長く渦巻いた角があった。しかしその位置はとても高く、ビリィの目では霞んでハッキリと見ることはできない。
ただ、霞んだ景色のその先で、巨大な赤い瞳がギョロリと光り、ビリィ達をひとなめにした。
ビリィは一歩後ずさった。あの日の恐怖がビリィの胸を鷲掴みにする。それはドリィも同じようだった。両手で胸をかき抱くように震えている。
「ドリィ、逃げるんだ!」
とっさに叫んだ。ドリィはハッと気づいたように駆け出す。
「ビリィ……!」
ドリィは何か言いたげにビリィを振り返る。しかしビリィは退くつもりはなかった。
アビスが咆哮を上げた。それだけで大地から土煙が舞い上がり、なおもビリィの視界を悪くする。もくもくと立ち上る煙の向こうに見えるその影は、ビリィがあの日見たものと変わることはなく。
「お前が……!」
ビリィはギリ、と歯を軋ませ、鞘から抜いた剣をぎゅっと固く握りしめた。その剣を高く掲げ、ビリィは走り出す。
「うおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
その走りは、確かに同年代の少年からしたら「俊足」と呼んで差支えないものだっただろう。土煙の向こう、アビスのむき出しの腹に向かい、一目散にかけていく。
アビスは暫く辺りを見回していたが、やがて前足でボリボリと首の後ろを掻いた。そして、ビリィの存在など見えないかのようにその歩を一歩進めた。 ズシン!!! そのひと踏みだけで、立っていられない程の揺れがビリィを襲った。
「……っ!」
ビリィはその揺れに大きく体を投げ出される。ズザザザッザッザ!バランスを崩したためうまく受身が取れず、荒れた地面に体が叩きつけられ、ぐるぐると回転する。
「ぐ、ぅ…っ」
やっと回転の止まった体はズキズキと痛み、それだけで打ち身だらけであろうことは想像に難くなかった。足首がひどく傷んで、もしかすると強くひねったかもしれない。力を入れると耐え難い痛みがビリィを襲った。
しかしやはりアビスはビリィの方を見向きもせず、ただまっすぐに歩みを進めた。いや、ビリィの存在にすら気づいていないのだろう。ゆっくりと前足が倒れるビリィの脇を抜けていく。その足が地面に着く度に、大きな揺れが大地を襲った。
「この……っ」
剣に力を込め、杖にして立ち上がろうとした。揺れの中懸命に立ち上がろうとするビリィを嘲笑うかのように――いや、きっと何気なくなのだろう。アビスが尻尾を振った。
ぐおん!!!!
瞬間、体が吹き飛ばされた。それが、アビスが尻尾を振ったことによって起こった風圧だと気が付くのにはしばらくの時間がかかり、その時にはすでに地面に体を強く叩きつけられていた。
「かはっ!」
襲う衝撃に声すら出ず、ビリィは肺の中の空気をすべて吐き出した。背中の衝撃はすぐに痛みに変わり、燃えるようにビリィの体を蝕んだ。
「……!」
あまりの痛みに指先をピクリと動かすことさえできずビリィは呻いた。ジリジリと背中が灼けるように熱い。全身に広がっていくその熱の中、ビリィは自分の無力をひしひしと感じていた。
今、自分はアビスに対して何ができた?
アビスに人は敵わない。 ドリィの言葉が頭の片隅に蘇った。
そんなことはわかっている。いや、わかっていたつもりだった。
何を期待していたのだろう?アビスが人の及ぶ存在でないことを知りながら尚立ち向かうことで、よもや一矢報いることができるとでも思ったのだろうか。
「く、うぅ……っ!」
気づけば涙が溢れていた。あんなに憎かったアビス。あいつを倒すためだけに今まで生きてきた。体を鍛え、剣を学び、昼も夜もなく自身の体に鞭を打ち。
炎に歪む景色が瞼を覆う。あの日以上の絶望なんてあるわけがなかった。あの憎しみを払うために、今ここに立ったはずだったのに。こんな自分の決意さえ、あの怪物は知ることもないままに砕き去ってしまうのか。
「……そっくそっくそっくそぉ……っ!!!」
それは痛みから来るものか、それとも悔しさから来るものか。ボロボロと頬を流れ落ちる涙だけが、ただ無力さを告げていた。
その時。
『逃げろって言ったのに』
呆れたような声がビリィの耳元でした。そうだ。ドリィもそう言っていた。それなのに。
その時、ビリィはこの場所にドリィもいることを思い出した。そうだ、彼女は。ビリィの声にアビスからは背を向けて走り出していたはずだが、そんなことが何になると言うのだろう。アビスの歩幅を考えると、人間が多少走ったところでどうしようもない。ましてや、ドリィの小ささを考えるに、もうすでに彼女に追いついていたとしてもおかしくはなかった。
ビリィは頭を振り、痛みの中ぐぐ、と上体を起こそうとした。しかしうまく中途半端に塞がれた呼吸器は痛みにあえいで、うまく息が出来ずにまた体は地面に崩れ落ちる。
「ドリィ……っ」
掠れた声でビリィは叫んだ。視界が霞む。一歩歩くたびに砂埃を巻き上げて、アビスは影だけになっていく。何もできないのか。自分どころか、ドリィの命さえ危険に晒して。
「そんなこと、させて、たまるか……っ!」
ビリィは再度自身の体に力を込める。
ふと、耳元で声がした気がした。
「なんで、そこまでしてアビスを倒したいって思うの?」
なぜ。考えたことがなかった。自分が生きてきた、あの愛しい世界を滅ぼした存在。それだけで憎むには十分な理由だった。
「もう一度目の当たりにしてわかったでしょう。アビスは怪物よ。アビスの前では人は等しく無力よ。それでも立ち上がるの?怖くはないの?」
怖いさ。怖いに決まっている。何せひとつも触れられずにこのザマなんだ。けど。
「馬鹿ね。そこで倒れておけば、自分は助かることができるかもしれないのに。今日会ったばかりの女の子を助けるために立ち上がるの?」
「だって、」
ビリィは痛みの中口を開いた。幼いころ、強く自分の中にあった思いが顔を覗かせる。
「僕は、勇者になりたかったんだ」
今朝、宿の部屋で見た鏡を思い出した。あの日から自分の顔に影を落としていた記憶がビリィに囁きかけるようだった。
幼いころ、父親にせがんで何度も読んでもらった冒険譚。そこに登場する勇者は、人々の危機に颯爽と現れ、世界を脅かす存在と果敢に戦い、そして勝利していた。決して諦めないその姿に何度も勇気をもらい、自分も大きくなったら、このように人を助けられる存在になりたいと密かに誓ったものだった。
アビスが現れた時、ビリィはずっと信じていた。どんなにピンチになったとしても、そこで絶対に勇者は現れてくれる。そして、こんな怪物なんてあっという間にやっつけてくれるのだ。
しかし、現実は残酷だった。
アビスがビリィの住む村を滅ぼし、世界中に次々に現れ、世界中を壊滅状態にしても、アビスを倒せる存在は現れなかった。
西に向かって旅をする途中立ち寄った村や街では、誰もがいつ自分の住む場所が襲われるかとびくびくしていて、明るい話題を聞くことなどほとんどなかった。世界が漫然と死に向かっていくようで、けれどそれを打開する何かを求めているようで。背中に背負った剣がズシリと重くなるのを感じていた。
「こんな世界を打破する力が欲しくて、そんな『何か』になりたくて……だから僕は、アビスを倒せる、そんな力が欲しかったんだ」
いつの間にか頬に触れられていた手にそっと自分の手を添えて、ビリィは視線を上にあげた。そこには夕闇にその髪の色を黒く染めた少女の姿があった。クリクリと大きな琥珀色の瞳を瞬かせて。
「……無謀な夢ね」
小さなため息と共に吐き出されたその言葉は、しかし少し弾んだように聞こえた。
「そんなに、力がほしい?」
「ほしい」
それはあまりにも淡々とした言葉で、当たり前のようにドリィが聞くものだから、ビリィも反射的に答えていた。今ここで、ドリィがこんな質問をする意味にも考えがいたらぬままに。
「でも、力を持つということは使命を得ることよ。あなたはこの先、どんなに辛くなったとしても、アビスと戦い続けなきゃいけない。わかる?」
「そんなの、あの日、村を失った苦しみに比べたら大したことじゃない」
アビスの足音を耳の奥で聞きながら、ビリィはなんだか気分が高揚する心地がした。ドリィの言葉がスルスルと心に落ちてゆく。
おかしい。おかしい。彼女はまるで、
アビスを倒す力があると、言っているみたいじゃないか?
ふいに先程、アビスの尻尾によって吹き飛ばされたことを思い出す。気が付いたら地面に叩きつけられていたためその時は気づかなかったが、確かにあの時、ビリィはアビスの尻尾の裏を見た。
そこには、複雑な模様がびっしりと広がっていた。自然に生きる生き物の紋様としては少し規則的なような、そこまででもないような。しかし、ビリィはその紋様をどこかで見たことがあるような気がした。それもずっと前ではない。ごく最近のことだ。そう、確か、今朝ドリィが持っていた剣の柄に掘られていた――……。
「ビリィ」
ドリィの言葉と同時に、アビスが唸り声を上げた。
「……全てのアビスを倒すまで、戦い続けると誓う?――戦ってくれる?私と、最後まで」
ぎゅっと脇に抱えた鞄を握る。街に次々と灯りが点っていく様をドリィはじっと見ていた。
こちらからは見えないが、すでに街の人々はアビスが現れたことに気づいているだろう。アビスの来訪に恐れ逃げまどう人々で溢れているに違いなかった。アビスは尚も歩を進めている。人々が多少街から離れたところで、その体ですぐに蹴散らしてしまうに違いなかった。ドリィは少し瞳を揺らす。
それでも、ドリィは目の前の少年の言葉を待った。
ただ、待ち望んだ。
「僕は」
ビリィが唇を開く。その瞳に戸惑いの色はなかった。
「僕は――世界を、僕を、……君を救う、勇者になりたいんだ!」
先ほどまで緩やかにその色を変えていた空が、一瞬にして暗闇に変わった……いや、今ビリィ達に影を落としているのは空の色ではなかった。
こんなに大きな巨体がいつの間に現れたのか。ビリィ達の目の前には、天まで届くかのような体を持つ怪物が立っていた。まるで瞬きの間に世界が入れ替わってしまったかのように、ビリィの目に映る風景は一瞬にして変貌していた。
「……アビス……っ!」
目前のその巨体は象のように固い四肢を持ち、しかし二本の足で悠然と大地に立っていた。全ての足に長く鋭い爪が光り、首と思われる場所のすぐ下には、その巨体には不似合いな小さい角が生えていた。そしてその上にある頭には赤く濁る瞳と牙の飛び出した大きな口、年老いた雄の山羊のように長く渦巻いた角があった。しかしその位置はとても高く、ビリィの目では霞んでハッキリと見ることはできない。
ただ、霞んだ景色のその先で、巨大な赤い瞳がギョロリと光り、ビリィ達をひとなめにした。
ビリィは一歩後ずさった。あの日の恐怖がビリィの胸を鷲掴みにする。それはドリィも同じようだった。両手で胸をかき抱くように震えている。
「ドリィ、逃げるんだ!」
とっさに叫んだ。ドリィはハッと気づいたように駆け出す。
「ビリィ……!」
ドリィは何か言いたげにビリィを振り返る。しかしビリィは退くつもりはなかった。
アビスが咆哮を上げた。それだけで大地から土煙が舞い上がり、なおもビリィの視界を悪くする。もくもくと立ち上る煙の向こうに見えるその影は、ビリィがあの日見たものと変わることはなく。
「お前が……!」
ビリィはギリ、と歯を軋ませ、鞘から抜いた剣をぎゅっと固く握りしめた。その剣を高く掲げ、ビリィは走り出す。
「うおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
その走りは、確かに同年代の少年からしたら「俊足」と呼んで差支えないものだっただろう。土煙の向こう、アビスのむき出しの腹に向かい、一目散にかけていく。
アビスは暫く辺りを見回していたが、やがて前足でボリボリと首の後ろを掻いた。そして、ビリィの存在など見えないかのようにその歩を一歩進めた。 ズシン!!! そのひと踏みだけで、立っていられない程の揺れがビリィを襲った。
「……っ!」
ビリィはその揺れに大きく体を投げ出される。ズザザザッザッザ!バランスを崩したためうまく受身が取れず、荒れた地面に体が叩きつけられ、ぐるぐると回転する。
「ぐ、ぅ…っ」
やっと回転の止まった体はズキズキと痛み、それだけで打ち身だらけであろうことは想像に難くなかった。足首がひどく傷んで、もしかすると強くひねったかもしれない。力を入れると耐え難い痛みがビリィを襲った。
しかしやはりアビスはビリィの方を見向きもせず、ただまっすぐに歩みを進めた。いや、ビリィの存在にすら気づいていないのだろう。ゆっくりと前足が倒れるビリィの脇を抜けていく。その足が地面に着く度に、大きな揺れが大地を襲った。
「この……っ」
剣に力を込め、杖にして立ち上がろうとした。揺れの中懸命に立ち上がろうとするビリィを嘲笑うかのように――いや、きっと何気なくなのだろう。アビスが尻尾を振った。
ぐおん!!!!
瞬間、体が吹き飛ばされた。それが、アビスが尻尾を振ったことによって起こった風圧だと気が付くのにはしばらくの時間がかかり、その時にはすでに地面に体を強く叩きつけられていた。
「かはっ!」
襲う衝撃に声すら出ず、ビリィは肺の中の空気をすべて吐き出した。背中の衝撃はすぐに痛みに変わり、燃えるようにビリィの体を蝕んだ。
「……!」
あまりの痛みに指先をピクリと動かすことさえできずビリィは呻いた。ジリジリと背中が灼けるように熱い。全身に広がっていくその熱の中、ビリィは自分の無力をひしひしと感じていた。
今、自分はアビスに対して何ができた?
アビスに人は敵わない。 ドリィの言葉が頭の片隅に蘇った。
そんなことはわかっている。いや、わかっていたつもりだった。
何を期待していたのだろう?アビスが人の及ぶ存在でないことを知りながら尚立ち向かうことで、よもや一矢報いることができるとでも思ったのだろうか。
「く、うぅ……っ!」
気づけば涙が溢れていた。あんなに憎かったアビス。あいつを倒すためだけに今まで生きてきた。体を鍛え、剣を学び、昼も夜もなく自身の体に鞭を打ち。
炎に歪む景色が瞼を覆う。あの日以上の絶望なんてあるわけがなかった。あの憎しみを払うために、今ここに立ったはずだったのに。こんな自分の決意さえ、あの怪物は知ることもないままに砕き去ってしまうのか。
「……そっくそっくそっくそぉ……っ!!!」
それは痛みから来るものか、それとも悔しさから来るものか。ボロボロと頬を流れ落ちる涙だけが、ただ無力さを告げていた。
その時。
『逃げろって言ったのに』
呆れたような声がビリィの耳元でした。そうだ。ドリィもそう言っていた。それなのに。
その時、ビリィはこの場所にドリィもいることを思い出した。そうだ、彼女は。ビリィの声にアビスからは背を向けて走り出していたはずだが、そんなことが何になると言うのだろう。アビスの歩幅を考えると、人間が多少走ったところでどうしようもない。ましてや、ドリィの小ささを考えるに、もうすでに彼女に追いついていたとしてもおかしくはなかった。
ビリィは頭を振り、痛みの中ぐぐ、と上体を起こそうとした。しかしうまく中途半端に塞がれた呼吸器は痛みにあえいで、うまく息が出来ずにまた体は地面に崩れ落ちる。
「ドリィ……っ」
掠れた声でビリィは叫んだ。視界が霞む。一歩歩くたびに砂埃を巻き上げて、アビスは影だけになっていく。何もできないのか。自分どころか、ドリィの命さえ危険に晒して。
「そんなこと、させて、たまるか……っ!」
ビリィは再度自身の体に力を込める。
ふと、耳元で声がした気がした。
「なんで、そこまでしてアビスを倒したいって思うの?」
なぜ。考えたことがなかった。自分が生きてきた、あの愛しい世界を滅ぼした存在。それだけで憎むには十分な理由だった。
「もう一度目の当たりにしてわかったでしょう。アビスは怪物よ。アビスの前では人は等しく無力よ。それでも立ち上がるの?怖くはないの?」
怖いさ。怖いに決まっている。何せひとつも触れられずにこのザマなんだ。けど。
「馬鹿ね。そこで倒れておけば、自分は助かることができるかもしれないのに。今日会ったばかりの女の子を助けるために立ち上がるの?」
「だって、」
ビリィは痛みの中口を開いた。幼いころ、強く自分の中にあった思いが顔を覗かせる。
「僕は、勇者になりたかったんだ」
今朝、宿の部屋で見た鏡を思い出した。あの日から自分の顔に影を落としていた記憶がビリィに囁きかけるようだった。
幼いころ、父親にせがんで何度も読んでもらった冒険譚。そこに登場する勇者は、人々の危機に颯爽と現れ、世界を脅かす存在と果敢に戦い、そして勝利していた。決して諦めないその姿に何度も勇気をもらい、自分も大きくなったら、このように人を助けられる存在になりたいと密かに誓ったものだった。
アビスが現れた時、ビリィはずっと信じていた。どんなにピンチになったとしても、そこで絶対に勇者は現れてくれる。そして、こんな怪物なんてあっという間にやっつけてくれるのだ。
しかし、現実は残酷だった。
アビスがビリィの住む村を滅ぼし、世界中に次々に現れ、世界中を壊滅状態にしても、アビスを倒せる存在は現れなかった。
西に向かって旅をする途中立ち寄った村や街では、誰もがいつ自分の住む場所が襲われるかとびくびくしていて、明るい話題を聞くことなどほとんどなかった。世界が漫然と死に向かっていくようで、けれどそれを打開する何かを求めているようで。背中に背負った剣がズシリと重くなるのを感じていた。
「こんな世界を打破する力が欲しくて、そんな『何か』になりたくて……だから僕は、アビスを倒せる、そんな力が欲しかったんだ」
いつの間にか頬に触れられていた手にそっと自分の手を添えて、ビリィは視線を上にあげた。そこには夕闇にその髪の色を黒く染めた少女の姿があった。クリクリと大きな琥珀色の瞳を瞬かせて。
「……無謀な夢ね」
小さなため息と共に吐き出されたその言葉は、しかし少し弾んだように聞こえた。
「そんなに、力がほしい?」
「ほしい」
それはあまりにも淡々とした言葉で、当たり前のようにドリィが聞くものだから、ビリィも反射的に答えていた。今ここで、ドリィがこんな質問をする意味にも考えがいたらぬままに。
「でも、力を持つということは使命を得ることよ。あなたはこの先、どんなに辛くなったとしても、アビスと戦い続けなきゃいけない。わかる?」
「そんなの、あの日、村を失った苦しみに比べたら大したことじゃない」
アビスの足音を耳の奥で聞きながら、ビリィはなんだか気分が高揚する心地がした。ドリィの言葉がスルスルと心に落ちてゆく。
おかしい。おかしい。彼女はまるで、
アビスを倒す力があると、言っているみたいじゃないか?
ふいに先程、アビスの尻尾によって吹き飛ばされたことを思い出す。気が付いたら地面に叩きつけられていたためその時は気づかなかったが、確かにあの時、ビリィはアビスの尻尾の裏を見た。
そこには、複雑な模様がびっしりと広がっていた。自然に生きる生き物の紋様としては少し規則的なような、そこまででもないような。しかし、ビリィはその紋様をどこかで見たことがあるような気がした。それもずっと前ではない。ごく最近のことだ。そう、確か、今朝ドリィが持っていた剣の柄に掘られていた――……。
「ビリィ」
ドリィの言葉と同時に、アビスが唸り声を上げた。
「……全てのアビスを倒すまで、戦い続けると誓う?――戦ってくれる?私と、最後まで」
ぎゅっと脇に抱えた鞄を握る。街に次々と灯りが点っていく様をドリィはじっと見ていた。
こちらからは見えないが、すでに街の人々はアビスが現れたことに気づいているだろう。アビスの来訪に恐れ逃げまどう人々で溢れているに違いなかった。アビスは尚も歩を進めている。人々が多少街から離れたところで、その体ですぐに蹴散らしてしまうに違いなかった。ドリィは少し瞳を揺らす。
それでも、ドリィは目の前の少年の言葉を待った。
ただ、待ち望んだ。
「僕は」
ビリィが唇を開く。その瞳に戸惑いの色はなかった。
「僕は――世界を、僕を、……君を救う、勇者になりたいんだ!」
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