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 果てしなく広がる青空の下、 君となら、どこまでも行けるって思ったんだ。
 
 


 
 
 
 
 
************

 それは、真っ赤な世界だった。
 
 炎に包まれる自分の村。肉をジリジリと焦がす臭いが辺りに充満している。生まれ育った家に目を向けた。もはやそれは元々建物の形をしていたかも怪しい程に、ただの木くずと瓦礫の集まりとなっていた。
 その隙間から流れる赤黒い液体が何を意味するものなのか。答えはひとつしかないのに、脳は考えることを止めていた。村を包む炎は肌を焦がし、吸い込んだ空気は肺を焼いた。それが熱から痛みに変わった瞬間、彼ははじかれたように叫んだ。
 
「―――――――~~っぁああああああああああああっ!!!」
 
 それが意味のある言葉だったのかどうかは、もう、彼にすらわからないままに。
 
 
 
************
 
 目を開けると、見慣れない天井がそこにあった。耳に届く自分の息が荒い。ビリィは暫く呆然としていたが、やがて額の汗を拭い、重い体をぐっと持ち上げる。
 
 またあの夢だ。ビリィはゆっくりと首を横に振った。
 
 チリチリと肌を焦がす感覚が、未だに全身に残るようだった。汗でびっしょりになったシャツを脱ぎ捨てる。鏡に立てかけた剣を取ろうと手を伸ばすと、ふいに鏡の中の自分が目に入った。
 『あの日』から鍛え抜いてきた体は、がっちりとした筋肉をつけて鏡に映っている。16歳という年齢には似つかわしくなく、腹は複数に割れ、二の腕は隆起していた。しかし、その体の上にある頭……その表情と目が合って、ビリィはふっとため息を吐いた。
 
「……なんて顔だ」
 そしてそのまま、剣を持とうとした手でその顔を覆った。
 
 
「おはよう、よく眠れましたか」
 服を着て階下に降りると、宿の主人から声をかけられた。その言葉に、ビリィは笑顔を返す。
「こんなに柔らかな布団で横になったのは本当に久しぶりです」
 宿の主人は、「おや、うれしいことを言ってくれますねぇ!」と豪快に笑った。ビリィはそっと目を細める。悪夢のことはそっと胸にしまった。
 黒くて襟の立った長袖の服に腕を通すと、先ほどの隆起した肉体はすっかりその中に納まって隠れてしまい、ビリィは年相応の少年になっていた。
「本当に……こうやって、宿に泊まるのも久しぶりだったんです。この辺じゃ、街があったとしてももうほとんど人がいませんから」
 ビリィの言葉に、宿の主人は苦笑する。
「……まぁ、こんなご時世じゃどこに行ったってそう変わりませんからね。10年も経ってしまうと、感覚が麻痺してしまっていけません」
 ビリィはその言葉に曖昧な笑みを返す。今朝の夢が脳裏を掠めた。今もあの熱が肌を灼いているような気がして、ぎゅっと腕を掴む。

 感覚が麻痺なんて、するはずがなかった。

「おかげで、暖かい布団とおいしい食事にありつけるわけですね」
 宿の主人が「ハハハ!」と笑う。皮肉にも取られかねない言葉だったが、幸いそれすらもひっくるめて笑ってくれたらしい。強い人だ、とビリィは思った。
 ひとしきり笑った後、宿の主人は部屋の隅を指さした。
「朝ご飯はもうできていますよ。先に顔を洗ったらどうですか?」
「そうですね、そうさせてもらいます」
 机に剣を立てかけてビリィは答えた。そのまま部屋の隅に用意された洗面台に向かう。洗面台と言っても、井戸から汲み上げた水を入れた桶が置いてある簡易なものだ。それでもここは、すぐに水が用意できるだけ上等である。ビリィは桶に張った水を手で掬うとバシャバシャと顔を洗った。冷たい水が肌に心地いい。夢で感じた熱も取れていく心地がして、ビリィは念入りに顔をこする。と、ふと背中から声が聞こえた。
「おじさん、おはようっっ」
 それは、年端もいかない少女の声であるようだった。朗らかに明るい声が宿の食堂に響く。
「おお、おはよう、よく眠れたかい?」
「ええ、こんなにふっかふかのお布団、とても久しぶりだったわ!」
 宿の主人も、先ほどとは違いくだけたしゃべり方をしていた。宿の主人の質問に、ビリィと似たような返答を返すその声はやはり幼い。
 家族と旅にでも出ているのだろうか。そんなことをビリィが思っていると、宿の主人が少し声を落とした。
「しかし、心細くはなかったかい?この年でたった一人で旅だなんて」
 ビリィはその声を背中で聞きながらタオルを手に取った。そのままゴシゴシと顔を拭きはじめる。と、少女の方があっけらかんとした風に、
「平気よ。もう慣れちゃったわ!」
 そう答えるのが聞こえた。少しだけ、宿の主人が息を呑む音がする。ビリィもまた黙ったまま、タオルを窓枠にかけ直した。
 
と。
 
「ねぇ、変わってもらって大丈夫かしら?」
「!」
 すぐ後ろから声がかかる。慌てて振り向いて――……少し視線を落とすと、こちらを見上げている勝ち気な茶色い瞳と目があった。年は10歳にも満たないぐらいだろうか。背はビリィの肩にも届かない。こんなに幼い少女が、今のこの世界で、一人きりで旅をする理由などひとつしかなかった。やっぱり、とビリィは口を結んだ。
「……私も、顔を洗いたいんだけど」
 少女は憮然とした表情でビリィを見上げていた。ビリィは慌てて桶の前から離れる。
「あ、ああ、ごめん」
「ありがとう」
 ビリィの脇を通り、少女は桶の水をすくう。パシャパシャと軽い水の音が響いた。ビリィはなんともなしにその後ろ姿を見つめる。小さい背中だった。
 しばらくして少女は水だらけの顔を上げた。ビリィが先ほど使ったタオルを手に取って顔をこする。少しだけ顔をしかめた。
「湿ってる……」
「ああごめん、僕が先に使ったから」
 慌ててビリィが弁解すると、少女は濡れた前髪を指で整えながら振り返った。大きな瞳がビリィの姿をとらえる。
「あなた……」
 少女はビリィの顔を見、宿の主人を見、それから、机に立てかけたビリィの剣を見た。
「あなた、旅人さん?」
「まぁ」
 ビリィの言葉に少女はちらりとビリィの顔を伺った。またすぐに剣に視線を戻す。ビリィは少女の質問の真意をつかみかねて、やはり一瞬少女を見て、また目を逸らした。
「じゃあ、あれ、あなたの?」
少女がビリィの剣を指さす。それを目で追って、ビリィは少し押し黙り、そして、ためらいがちに口を開いた。
「……そうだよ」
 ビリィが答えると、少女は「ふぅん、」とさして興味がなさそうに返した。今度はじっとビリィの瞳を見据える。剣よりも、その持ち主本人の方が気になるようだった。
「あなた、切りたいものでもあるの?」
 ふっと瞳を細め、しかし視線は逸らさずに少女はビリィに再度問いかけた。ビリィは少しだけ目を見開いて、その視線にそっと自らのそれを沿える。旅をしてきて、こんな質問をされたことは初めてだった。
 剣の目的など、何かを切る以外にない。旅をする人々の中では、防衛のために持たない人の方が少ないぐらいだ。
 それでも、あえてこんな質問をするということは。
「まるで、僕が『何か』を切るためにこの剣を持ち歩いてるみたいな言い種だね」
「?……違ったかしら」
 ビリィが絞り出すように呻いた言葉を、あっさり肯定して少女は首を傾げた。ほとんどの髪は肩口で外向きに跳ねているのに、一房だけ長い髪が背中で揺れる。くりっとした大きな瞳は、その琥珀色の中にビリィの狼狽を映していた。そんな自分の姿を見て、ビリィは起き抜けに見た鏡を思い出す。
 ひどい顔だった。ひとつため息をつくと、ふっと目を伏せる。
「いや……合ってるよ」
 答えて、拳を堅く握りしめた。窓から通る風に、肌を灼かれた気がした。伏せた瞳の中には、轟々と唸る炎が燃えている。
 そんなビリィの様子を見上げながら、少女もまた自らの手を胸の上でぎゅっと握った。
「私も……持ってるの」
「え?」
 突然の少女の言葉に顔を上げると、少女はくりくりと目を瞬かせていた。その瞳は無邪気に見えて、どこかビリィを試しているようでもあった。
「剣よ。見る?」
 言うなり踵を返すと、少女は椅子に置いていた自身の荷物を手に取った。
 その鞄は小さく、少女の肩から軽く掛けられるぐらいの大きさでとても剣など入りそうにはなかった。そのため、それはきっと短剣かナイフの類だろうとビリィは思ったのも無理はなかった。確かにこの位の少女が持つには一番扱いやすいだろう。それがどれだけ役に立つかは置いておいて。
 しかし少女が取り出したものは、そんなビリィの想像の遥か斜め上を行った。
「これよ」
「これって……それは、」
 一瞬言葉を探す。けれど、やはりそのまま言うしかなかった。
「それ、柄だけじゃないか」
 そう、少女が鞄から取り出したのは、鞘も刀身もないただの柄だった。
 少し錆がかってはいるものの、重厚な輝きを放っているそれは、確かに名刀と呼ばれるには相応しかったのだろう。持ち手には複雑で美しい紋様が掘られ、その先には真っ赤なルビーが埋め込まれていた。きっとどこかの貴族……それ以上の地位の人が持っていたんだろうとビリィは思った。確かに、その点に置いては少女が見せたいと思うほどの価値はあるのだろう。
 しかし、ぽっかりと空いた鍔は、やはり本来の目的を果たすにはあまりにも役不足だと告げていた。
 けれど、少女はまたもあっけらかんと「えぇ、そうよ」と答えた。なんでそんな当たり前のことを聞くのか。視線でそう告げながら。
 少女の思惑がわからず、ぐるぐると回る頭でやっとビリィは聞いた。
「……君のは、何かを切る剣じゃないのかい」
 そうだ、少女は『何かを切る剣』を持つ自分に、『私も剣を持っている』と答えた――……。
 すると少女は初めてふっと目を伏せた。長い睫が逡巡するように二、三度揺れる。その様子は涙を堪えるようにも見えた。
 悪いことを聞いてしまったか、ビリィがそう思って言葉をかけようとする前に、少女の唇が開いた。
「何かを切る剣に、なるはずなのよ」
 そして少女はまたビリィを見上げた。その瞳は凛とした琥珀色で、少し気圧されるようにビリィは身を引く。
 何かを切る剣になる。単純に考えれば、そうおかしい言葉ではなかった。
 柄があり、鍔があるなら、あとは刀身と鞘さえ用意してやれば十分使えるようになるだろう。もちろん、それが年端も行かない少女でも持てる重さになるとは限らないけれど。
 こんな剣を持っているということは、この少女はどこか高貴な家の出なのだろう。もしその伝手さえ辿ることができれば、確かにその2つを用意できる職人に会うことは、さして難しくはないように思えた。
 しかし彼女が告げた言葉は、そんなことを指しているのではないのだと、ビリィはどこかわかっていた。そういえば、柄に掘られた紋様をビリィはどこかで見たことがあるような気がした。それが思い出せないまま、先に別の答えに思い至る。
 
 そうか、彼女も。
  
「……『何か』はアビスだね」
「……!」
 息を呑んだのは宿屋の主人だった。ゴトン!置こうとしていたスープの鍋が大きな音を立てて、スープと中の具が大きく跳ねた。少女はといえば、そんなビリィの言葉さえ想像できていたようで、「あなたもでしょう?」と囁くように聞いた。
 ビリィは全身の毛が粟立つような心地がした。チリチリと、肌の灼ける音がフラッシュバックする。
 
 
 そうだ。あの日の光景を、二度と忘れない。
 
 
 ギリリ、と拳が固く握りしめられた。ビリィは歯を噛みしめる。そんなビリィの様子をただ静かに見上げながら、少女は淡々と口を開いた。
 
「アビス。10年前に現れた、星の災厄」


 この世界の遙か西、シジレ地方に点在する小さな小さな村のひとつにビリィは生まれた。全速力で走れば子どもでも村を一周するのに10分もかからないような、そんな村だった。
 決して豊かとは言えなかったが、誰もが顔見知りのその村で、確かに自分は愛されて育てられたとビリィは今でも思っている。そしてその愛情は、あの日、きっともうすぐ生まれる「彼女」にも注がれるんだろう、ビリィは疑いもなくそんな日々が続くと信じていた。
 
 
 しかし。その思いは突如として現れた怪物に、粉々に打ち砕かれることとなる。
 
 
「アビスの通った後には、瓦礫すら残らない」
 思い出がフィードバックするビリィの耳に、ポツリと少女の呟きが聞こえた。
 
 アビスは、10年前、突如としてこの世界に現れた化け物だった。
 その体は天まで届くほどに大きく、皮膚は象のように固い。長い牙の生えた口からは炎の息を吐き、長い尻尾は一振りするだけで幾重もの石を積み上げて作った建物さえ10は下らず簡単に粉々にしてしまう。
 西の果てにあるとされる国で最初に現れたと言われているが、詳しいことは定かではなかった。何せ、その国でさえアビスに滅ぼされてしまったのだから。
 
 ビリィは瞼の裏に焼き付く、あの日の風景を思い起こす。
 炎に包まれる村、肉の焼ける臭い、空にまで届くかのような大きくて黒い影。
 
 あの日、自分はあの怪物に全てを奪われた。
 優しかった母も、厳しくも暖かかった父も、すれ違えば必ず声をかけてくれた村の人々も、みんな炎の中に消えてしまった。そう、母の中に息づいていた、小さな小さな命さえも。
 アビスはその巨体で軽々と建造物を吹き飛ばし、息を一吐きしただけで一面を炎に変えた。ビリィは覚えている。あの怪物が本当に何気なく、自分の歩む道に置かれてあったものをどかすように、一つの村を呆気なく滅ぼしてしまったあの光景を。
 
 だから決めたのだ。これ以上自分のような境遇の人間は出さないように。
 そして、村を滅ぼし、大事な人々の命を奪った怪物に復讐を。
 
 この10年の年月で、ビリィは自分の体を鍛えぬいた。自分を助けた、東にある街に住む人の元で剣の扱い方を学び、そしてまた、忌まわしい過去のあるこの西方の地へと帰ってきたのだった。
 
 
「君は?」
 今度はビリィが少女へと訪ねる番だった。
 少女は髪の毛を遊ばせていた手を止め、「そういえば、お互い自己紹介をしていなかったわよね」と言った。そして、
「あなたの名前は?」
 そう聞いてくる。質問に質問を返されて、ビリィは少し呆気にとられながら答えた。
「僕はビリィ。ビリィ・ヴァーさ」
 その返答を聞いて、少女は少しだけ驚いたように目を丸くする。
「そうなの。よろしくね、ビリィ」
「あ、あぁ……」
 完全にこの子のペースだな。ビリィは戸惑いながら目の前の少女を見つめる。
 茶色みがかった髪は背中の一房だけ腰まであり、残りは肩より上で外向きに跳ねていた。ノンスリーブのワンピースは重ね着をしているようで、ふわふわしたレースがスカートの隙間から時々覗いている。腕と足はスパッツ生地の黒いカバーで覆われていた。
 見た目より少しだけ大人びた格好は、やはり一人で旅をしているからだろうか。しかし肩にかけた鞄の小ささは、人の住む集落が非常に少ないこの地域で前の街から一体どうやってここまで生き抜いてきたのか不安を覚えるほどだった。
「それで、」
 君は?……そう続けるより先に、またもや少女が口を開いた。
「名前、似てるのね。ビックリしちゃった。私はドリィ。ドリィ・マストよ」
 またも出鼻を挫かれて、ビリィは口を噤む。しかし、その名前に聞き覚えがあるような気がして、モゴモゴと口の中で反芻した。
 と、今まで一緒になって神妙に話を聞いていた宿の主人が、突然堰を切ったように笑い出した。
 
「ははは!何を言ってるんだい!そりゃあ、コルマガ王国のお姫様の名前じゃないか!あそこは、10年も前に滅んでいるよ!」
 
 そうだ。それは当時6歳だったビリィでも、幾度か聞いたことのある名前だった。
 
 この世の果てとも呼ばれる、最西の地に大きくまたがり存在していたコルマガ王国。ビリィの住んでいたシジレ地方の村は、コルマガ王国から離れて初めの集落だった。毎夕、あの地平線を埋め尽くすかの如き遥か長い城壁に夕日が沈む様を見ていたことを思い出す。物心ついてすぐに一度だけ連れられたその国の入口は、幼かったビリィにも大きな威圧感を与えてそこに存在していた。果てしなく続く、白レンガがうず高く積まれた壁に作られたその入口は鋼鉄に閉ざされ、まるで要塞のようだと幼心にも感じたことを覚えている。
 しかし、その国はもうずいぶん前に滅んでいた。そう、西の果ての国。アビスが初めて現れ、滅ぼしたと言われる国そのものだった。
 
 それこそ、国民の生存は絶望的だと聞いていたが……。
 
「お嬢ちゃんの年じゃ、どんなに頑張ったってドリィ姫様にはなれないだろう。あの方はもし存命なら、今年で18になるはずだからね。その上マストの名前を冠することが出来るのは、この世界でコルマガ王国の王家の方しかいらっしゃらないよ。国が滅んだ今だからこそ咎める人は誰もいないけど、5代目国王が聞こうものなら、お嬢ちゃんですら絞首刑は免れないぐらいの罪になるさ」
 宿の主人が肩をすくめた。茶化した語り口だったが、それが誇張されたものではないということは、笑い切れていないその瞳からも感じ取れた。10年如きでは、あの国の威厳が消えるわけはない。その眼はそう告げていた。
 ドリィと名乗る少女は、その茶色い瞳で宿の主人をじっと見つめた。そして苦笑し、「そうね。気をつけるわ」と一言だけ言った。
 ビリィは在りし日に見たドリィ姫を思い出していた。そうだ。あの人が初めて国民の前に姿を現した日だった。
 その時彼女はほんの5歳で、ビリィは3歳で……2つしか違わないぐらい小さいのに、姫様の方は随分大人っぽいな。そう父が話していた。
 城壁に突き出したバルコニーに立っていたため、ビリィには遠くて姿はよく見えなかったが、確かに今の少女のように、艶やかな髪の色をしていたような気がする。
 そう思うと、口が自然と開いていた。
 
「じゃあ、ドリィって呼んでいいかな」
「!」
 
 ピン、と空気が張り詰める音がした。宿の主人が思わず身構え、少女はその瞳を大きく見開いてビリィを見つめる。
 それでも、ビリィは敢えてあっけらかんと、
「確かに、僕と似た名前だ。よろしく、ドリィ」
 そう、手を差し出した。
「お、お客さん……」
 宿の主人が戸惑いがちに口を開く。きっと彼ほどの年齢なら仕方ないのだろう。既に滅んだ国とはいえ、最西の地を制圧したその力を忘れることができないのだ。それこそ、小さな少女の戯れ言と笑い飛ばすぐらいしか。
 しかし、コルマガ王国が滅ぶまでに生まれているかすらわからない目の前の少女がその名をなぜ語るのか。その理由がわからない限り、迂闊に彼女の気持ちを踏みにじりかねない言動はしたくなかった。ビリィは静かに首を横に振る。
「彼女がそう名乗るなら、きっとそうなんでしょう……ほら、」
 そう言ってビリィは更に大きく手を差し出した。
「あ、ええ……よろしく、ビリィ。あなたって変わってるのね」
 差し出された手に呆気にとられながら、ドリィは躊躇いがちにその手を握り返す。胸に抱えた剣の鞘にぎゅっと力を入れた。
「そうかな、君ほどじゃないと思うけど」
 ビリィはそう言って笑った。
「ビリィはどこに向かってるの?」
 しばらく後、二人はテーブルに向い合せについて朝食を取っていた。カチャカチャとスープにスプーンをくぐらせてドリィが訪ねる。宿の主人は二人のやり取りに「呆れたねぇ」と苦笑して奥に引っ込んでしまった。
「宛てはないけど……このまま西に向かおうかと思ってるよ」
 ドリィは「そうなの、」と言って、ジャガイモをすくって口に運んだ。質問はするものの、やはり興味はなさげだ。ビリィは少し戸惑ったように、右手でスプーンを遊ばせる。スプーンが出す金属音だけが部屋に響いた。
 
 2人の間にしばらく沈黙が流れていると、外から演説の声が聞こえてきた。
『つまりは、アシンメトリィ・コミットの再来なのです!』
 ぴくり。ドリィの手が止まる。
 窓の外の演説は、ドリィのそんな様子など気づきもしないまま言葉を続けていた。ビリィは視線だけでドリィの様子を見る。ドリィの顔に目立った感情は見えなかったが、それだけによりその瞳は冷たく沈んでいるように見えた。拡声器を使った声が宿の中にも大きく響き渡る。
『遠い遠い昔、この星の半分を不毛の大地にし、残り半分にすら今なお残る傷跡をつけたあの大災害――アシンメトリィ・コミット!アビスは、その災厄を運ぶ使者に他なりません!遺された文献にもそのような記述はたくさんある!アビスは滅びの遣いです!そう、すべては我々が神に見捨てられたからこそ!だから今こそ神に――……』
「急に見放されたりするほど、今までよい行いをしてきたわけでもあるまいし」
 スープに半分浸かったスプーンに注いだ視線を、決して上げないままドリィが呟いた。ビリィもまた、伸ばしかけたスプーンを止める。
「……ドリィこそ、どこに向かってるんだ?」
 敢えてドリィの呟きは聞かないふりをして、先ほどの質問を返した。目の前の少女は、時々思考の海を遠くに投げやっているように見えていて、やはり今の言葉に何を問いかけたとしてもはぐらかされるんだろうと思われたからだ。ドリィはやっと視線を上げてビリィと目を合わせた。
「私も、特に宛てはないわ……でも、このまま西に向かうつもりよ」
「じゃあ、一緒だね」
「そうね」
 それ以上の言葉を、お互い続けることはなかった。ビリィとしては、年端も行かない少女を、いつアビスが現れるともしれない大地に1人で送り出すようなことはしたくなかった。……なかったのだが、彼女の持つ年相応ではない大人びた雰囲気と、時々見せる遠くを見つめるような眼差しにどこか何者をも寄せ付けない雰囲気を感じて、どうしても「一緒に行こうか」とは言い出せなかった。
 演説の声はなおも続いている。
『はるか昔、この世界の半分を消し去ったあの試練が、今また私たちに対して行われようとしているのです!今こそ!今こそ神に対しての祈りを!その方法は、我々が知っています!今、神に対して必要な祈りとは……』
「ビリィは、」
 演説の声を最後まで聞かず、ドリィがまた口を開いた。スプーンを口に運ぶ手を止め、ビリィは目の前の少女を見つめる。
「ビリィは、アビスが憎い?」
 ドリィもまた、スプーンはスープに潜らせたまま、はっきりとビリィを見据えて、そう聞いた。ビリィは机に置いた拳をぎゅっと握った。
「憎いさ。僕は、アビスを殺すためだけに今ここにいるんだから」
 ドリィの手にもきゅっと力が入る。
「力が、あるの?」
「そのための剣だよ」
「特別な剣なの?」
「いや。……昔々、ほんのちょっと曰くがあるぐらいさ」
「……じゃあ、それで倒す自信はあるの?」
「……ないさ。あんな化け物。人間の手で敵う相手じゃないだろう」
「それなら、どうして」
「どうしてって、そりゃ憎いからだよ。アビスを、この目でもう一度見ることがあったら、僕は」
「アビスを殺そうとする?」
「必ずね」
 ここまでの会話は、常に淡々と行われた。呟くように、だが力強く。ビリィはドリィの問いかけにひとつひとつはっきりと答えた。……その間は決して、目の前の少女と目を合わせようとはしなかったが。
 ドリィもまた目を伏せて、スプーンを持った手を少し遊ばせた。
 
 そして決心をしたように、その睫を上にあげた。
 
 
「私、知ってるわ。……次に、アビスが現れる場所」
 
 
 夕焼けが世界を赤く染める頃、ビリィはひとり、先ほどの街からほんの4、5㎞離れた砂漠に立っていた。やせ細った植物が時々申し訳なさそうに生えている以外は何もないひび割れた大地。
 地平線の果てに沈んでいく太陽をビリィはただ見つめる。先ほどの少女、ドリィの言葉が胸の内に蘇った。
 
 
『この街を出て、南西に4~5㎞。そこにきっと今夜アビスが現れるわ』
『なんでそんなことが……』
『いいから。ここからが本題よ。よく聞いて。あなたじゃ、アビスに絶対に敵わない。残念ながら何もできず殺されるのがオチよ。だから、逃げて』
『……』
『……言い方が悪かったわ。あなただけじゃない。人間じゃ、アビスに、敵わない。あなたも言っていたじゃない。今、私たちがアビスに対してできることは逃げることだけ』
『……それを、なんで僕だけに教えるんだ?』
『…………そんなのわかるわけないって、みんなが言うからよ』
 
 
 最後にドリィは自嘲気味に微笑んで、ビリィを残し宿を発っていった。ドリィのポーチが名残惜しそうに背中でそっと揺れていたことをビリィは思い起こす。
 
 最後の台詞は、どういう意味だったんだろうか。それはモヤモヤとビリィの胸の中でわだかまっていた。
 その言葉はとても、ビリィの質問の答えとは思えなかった。みんながわかるわけがないなら、ビリィだってドリィの言葉を信じないとは考えなかったのだろうか。
 もちろん、ビリィだってドリィの言うことを完全に信用したわけではなかった。ここにアビスが現れるなんて、なんの根拠があってそんなことが言えるのか。
 やつらは、天に届かんばかりの巨大な体を持ちながら、〝獲物〟にする集落の近くまでは絶対にその姿を現さない。なんの前触れもなく、突如として現れるのだ。そう、あたかも深淵から這い上がってくるように。
 アビスに目をつけられた集落は、滅びるしかない――……それはこの世界において、逃れようもない絶望という〝現実〟だった。アビスが現れてからでは、逃げる時間すら与えられないからだ。
ビリィやドリィのように、《運よく》生き残る者もいた。しかし、アビスが滅ぼしてきた村や街に置いて、そのような者がいるということの方が稀であった。ほとんどの集落は、その終末を知らせる暇もないまま全滅してしまう。そのため、生き残った者は『アビスの落とし子』とされ、逆に不幸の象徴と言われ、忌み嫌われることもあった。ビリィの内に、思い出したくないもう一つの思い出が蘇り思わず顔をしかめた。
 
 
「アビスの現れる場所がわかる、滅んだ王国のお姫様か……」
 ビリィはぼんやりとひとりごちた。
 まるでお伽話に出てくる登場人物のようだ。もしどちらも本当だとしたら、かなり出来すぎた話になるな。そう考えて、ビリィは苦笑した。
 
 ふと、ドリィの姿が自分によく似た少女と重なって、ビリィは思わず瞬きをした。あの日、あともう少しで生まれて来たはずの自分の妹。彼女も生まれていれば、今頃はあのドリィという少女ぐらいになっていただろうか。
「あんな生意気そうな女の子だったらやだな」
 ビリィは目を細めて薄く笑った。しかしその顔は、すぐに苦痛に歪められる。そう、生まれてさえいればという思いが、ギュッとビリィの胸を締め付けた。
「母さん……」
 遠い記憶の存在を呼び起こした。優しかった母。母のお腹の中に息づいていた、新しい命。ビリィはそれを、自分の妹と信じて疑っていなかった。ビリィの村では、なぜか二人目に女の子が生まれる確率が非常に高い。誰もが、ビリィたちに新しい家族が加わるその瞬間を心待ちにしていた。
 しかしそんな妹は、この世に生まれ出ることなく命を落としてしまった。そう、アビスの手によって。
 押された背中。投げ出された家の外。振り返れば、倒れた母に降り注ぐ、燃え盛る家の破片。慌てて押しのけようとしたが小さな体では力が足りず、そうこうしている内に別の村人の手によってビリィは抱えられた。
 すべてが終わった後変わり果てた村に戻ってビリィが目にしたのは、見るも無残な母の姿と、そして産声を上げることなく肉片になった妹の姿だった。
 ビリィは手元に持った剣を固く握りしめる。眉間にしわを寄せ、ギリリと目をつり上げた。
 
 そうだ、自分はあの日から、この時のためだけに生きてきたのだ。
 
 アビスに一矢報いるその時だけを願って、体を鍛え、剣の腕を磨き、ここまでやってきた。10年という月日は、彼の憎しみを薄れさせることはなく、却って日が経つごとにその思いを増大させていった。
 アビスとの決着をつけなければ、自分の中で安穏な日が訪れることは決してない。ビリィはそう確信していた。
 
 
 夕陽が少しずつビリィの影を伸ばしていく。ビリィの遥か後方にその影はずっと続いて、
 
 そして、緩やかに伸びた。
 
「……逃げてって、言ったのに」
 
 背中で、幼い少女の声がした。ビリィは一瞬目を丸くするが、それ以上は驚かずにぐるりと腰をひねる。
 そこには、少し拗ねたような顔の――…ドリィの姿があった。
「馬鹿ね。こんなところまで。こんな小さい女の子の言葉を真に受けて来るなんて」
 そう言ってドリィは薄く笑う。眉尻は困ったように下がっていた。ビリィもまた苦笑する。
「なぜだろうね。でも……君も、来るような気がしたんだ」
 きゅっとドリィの眉根が寄った。胸元に置いた手が強く握られ、服の皺が一層深くなる。
「ビリィは、ひとつも私に『嘘だ』って言わないのね。私の名前だって。おかしいと思わないの?もう亡くなった国のお姫様の名前を名乗ってるのよ。その国が亡ぶ前に生まれてるはずのない私が」
 ドリィの息が心なしか浅く聞こえた。その瞳は縋るようにジッとビリィを見つめている。ビリィは目の前の少女が何をこんなにも辛そうな顔をしているのかわからなくて、二、三度瞬きをする。そう、まるで。
「だって、君が泣きそうな顔をしていたから」
「!!!」
 バッ!胸元でぎゅっと握られた手を大きく後ろ手に振って、ドリィの目が大きく見開いた。勢いでビリィに飛び掛かりかけようとして踏みとどまり、そのままキッとビリィを睨み付ける。その瞳が潤んでいて、ビリィは知らずと後ずさった。
「まぁ……今ほどじゃ、ないけれど」
 ドリィの肩が上がり、顔がかぁっと赤くなる。ドカドカとビリィに詰め寄ると、その勢いに呑まれて背筋を反らしたビリィの服の胸のあたりを両手でつかんだ。その手は小刻みに震えている。
「あなたは……っ」
 ぐい、ビリィの体を引っ張ると同時に顔をぐっと寄せた。琥珀色の瞳に光がゆらゆらと揺らめいてビリィを映している。
「…………大馬鹿者ね」
 寄せていた眉がゆっくりと下がっていく。ポツリ、ドリィは呟くと、胸ぐらを掴んでいた手を離した。
 ビリィはあまりのことにあっけに取られて、掴まれていた部分に手を触れながら、放心したままドリィを見つめた。ドリィはそんなビリィを見て、口の中で少しだけ笑った。
「でも、そういう人嫌いじゃないわ」
「……そりゃあ、どうも」
 ビリィは唖然とした表情のまま、そう言って苦笑した。
「あなたみたいな人、本当に初めてよ」
 ドリィはビリィの脇を抜けると、そのままそびえ立つ岩にもたれかかった。
 夕焼けが少しずつその色を夜に変えていく。ビリィやドリィの体にも影を落としていった。やがて空には星がぽつぽつと輝きだす。ドリィは微笑んだままビリィを見つめていた。ビリィは何か、心に小さく疼くものを感じてそっと手を握る。
「ドリィ、君は……」
 ドリィの口が、小さく開かれた。
「ビリィ、あなたなら、もしかして……」
 
 しかしその呟きは、大地を駆ける咆哮にかき消された。
 
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